細々とレイヤーをやっている薩川のブログ。

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地域ボラ退団記-その1

ついに地域ボラティアの団員生活にピリオドを打った。
この12年間は大変で、特に後半6年間は本当に厳しかった。
相方にも非常に迷惑をかけた。

始めは結構嫌々参加の時も多かった。飲み会なんか飲めなきゃ楽しくないし(薩川はアルコールに弱い
でも、この地区で生まれ、育ち、そしてこれからも生活していくという観点から、地区への奉仕は必要で、当然と思ってやってきた。
それにそこで出来た仲間と一緒に過ごす時間は、十分なモチベーションとなった。

東日本大震災でも団員の方が活動しているのを見るにつけ、胸が締め付けられる思いだ。
ちなみに12年って短いと思う人もあるかも。
被災地域では結構年配の団員の方とか見るもんな。
長野県は活動が盛んな区域で、平均年齢も低い。それだけ若い団員が多いということ。
更にウチの市の団員の平均年齢は低い。
加えてウチの市の幹部の出動日数回数はとんでもない訳です。
それを見れば、年数は少なくても濃密な時間を過ごしているのだ。

OBになったとはいえ、金銭面などで現役団員を支える役目も担っているんでね。
まだまだ奉仕の活動は続きます。
とりあえず一段落ってとこで。

本当にいろんな事があった。
消防技術の習得の為の操法訓練、連続放火に伴う消火活動、豪雨災害に行方不明者捜索。
ちょっと時系列としてまとめてみた。


1999平成11年度
 前年度に地域の大祭がある。そこでスカウトされた感じ。
 この地域ではこの大祭に併せたスカウトでの入団が一般的である。
 入って直ぐ4月から連続放火事件発生。
 それに伴う特別警戒。えらい所に入ってしもた…といった感じだった。
 当番制だったけど、深夜も警戒に当たるから。
 事件事態は初夏には収束。盛夏には犯人も捕まってたな。
 操法 2番員 この頃は鳴かず飛ばず。市の代表選考会では初年ということもあり、全然駄目だった。

2000平成12年度
 比較的穏やかな活動。まだヒラ団員だし。人員もこの頃多かったのでマッタリ進行。
 操法 2番員 大会本番に弱いことが解りはじめる。

2001平成13年度
 3年目ともなれば集大成の年か?そのわりに結果が出なかったね↓
 操法 2番員 分団選考会5位。全17チーム中でね。前年までよりは良いが、市の大会へ出るのすらままならない。

2002平成14年度
 操法 1番員 やってみたが厳しかった。パワーもある程度必要だし。スピードは無いし。
 中堅とまで言わないけど、だんだん活発になる活動。

2003平成15年度
 操法 3番員 天職と思える。ポンプ操作だから。でもお家事情でこの年しかやらせてもらえなかったな。
 正式な階級じゃないけど、はんちょー代理という役職に付く。場所によっては伍長とかも言うらしい。
 要は、はんちょーという階級の下に便宜上作ったものか。

2004平成16年度
 大祭警備 まだ楽しんでお祭りも参加できる程度だが忙しい年。
 操法 指揮者 13位
    2番員重複 4位。2種目で大会出るのって大変なんだよ。
 この年から梯子班参加。この頃は梯子に登るだけで怖かった。


元日梯子001


2005平成17年度
 機関新調 操法 指揮者40秒5位 分団優秀番員
         2番員   7位
 この頃からようやく勝ちを意識する。周りの人材もそろう。
 行方不明者捜索など、活動も増えて流石に厳しいと感じ始める。
    
2006平成18年度
 はんちょー昇格
 く○○り連続放火事件  
 この特別警戒はすごい規模と労力だった。出動日数も半端無い。
 警察の詳細情報が入っていなかったので、妙な付随珍事件も起こった。
 怪しい人に声をかけたら私服警官だったり。
 怪しいゴミ袋を発見して、中を捜索したら刑事が中から出てきたり(笑
 後述の操法の夜練習の後に食事に出かけ、食事中の店の周りが警官で固められてたり
 (↑後に知ったが容疑者が出入りしていた店だった)
 屯所宿泊が当たり前な時期も。4月の初っ端から火災出動だったな。
 6月半ばには収束方向へ向かっていったが、模倣犯もおり、気が抜けなかった。
 操法の選手としても練習しなきゃいけなかったし。

連続001

連続002


 操法 指揮者 
 分団選考会 優勝 ウチの部の優勝は25年ぶり。なんだよ、4半世紀ぶりってw
 市大会   優勝 市優秀番員  平成14年度以来のぶんだん優勝
 郡大会   3位  肉離れしながらの大会。特別警戒と平行して大会に臨むという無謀さ。

郡大会001


 郡大会当日に○まぇ○タイーホの新聞報道が出た。

 18年7月豪雨災害
 道路は各所で寸断。冠水、土砂崩れなど。会社に行けれねぇ。
 隣接市のだんいんも土砂災害にて殉職。所轄の土砂崩れはまだ比較的小さくて良かったが。
 道路、住宅の冠水の為に不眠不休の排水作業が3日間続く。
 本当にこの年は凄かった。


18災害001


18災害002

 
2007平成19年度
 操法は第一線を退く。同じ部の別チームが優勝。
 市大会は補助員(補欠を兼ねる)で参加。全番員経験があるの俺だけだから。
 市大会では3位と敗退。
 昨年度よりは穏やかに過ぎたが、階級に伴う激務。
 ちなみに部の会計業務も担う。
       
2008平成20年度
 ぶちょう昇格
 操法 部として分団選考会敗退。
 やっぱり器として『長』の立場は厳しいという事を痛感。
 だが、18年度の選手としての実績が次年度の役員人事で出世コースに乗ってしまった。
 色々な経験が出来たので、この年の経験が後の2年間に生きた気がする。
 そしてもう2年勤める覚悟が出来た。

2009平成21年度
 ぶんだん三役しょむぶちょーに昇格
 操法は出身部のチームが市大会にて準優勝。
 俺以上の人材でも、団体競技ということで、勝ち抜く難しさがあるよね。
 18年度の俺達は、たぶん特別警戒のドサクサと初出場の怖いもの知らずで運良く勝っちゃっただけ。

 8/8局地豪雨災害  18年ほどではないが、休みなしの排水作業、土砂の運搬片付け。
 18年度は自分の地区も被害甚大だったけど、この災害は隣接地域での被害が大きく、
 応援出動といった具合だった。


水害1


水害3


 ウチの市の災害ボランティアの受け入れ方は良かった。18年の時もそうだけど。
 素早い受け入れ体制の確立と、的確な派遣地区の選別が被災地域の迅速な復興に繋がる。
 だからといって東日本大震災の規模でなかったから、上手く行く訳ですが。

 ぶんだん記念誌発行
 編集委員筆頭として孤軍奮闘。年度末進行は厳しかった。
 でも、節目の年として携わった結果色々と歴史を学ばせてもらった。
 これもおいそれと出来る経験ではないのではなかろうか。

長くなってしまった。

H22年度は次日記へ。
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